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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)849号 判決 1973年3月06日

控訴人

山内菅子

右訴訟代理人

桑田勝利

引受参加人

山内久子

被控訴人

山本之登

加瀬茂啓

右両名訴訟代理人

高橋勲

高橋高子

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人らと控訴人との間において、被控訴人らが原判決添付実測図表示の(3)(6)(7)(8)(ニ)(5)(3)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分について囲繞地通行権を有することを確認する。

被控訴人らの控訴人に対するその余の請求を棄却する。

被控訴人らの引受参加人に対する請求を棄却する。訴訟費用中、被控訴人らと控訴人との間に生じた分は、第一、二審を通じて二分し、その一を被控訴人ら、その余を控訴人の各負担とし、被控訴人らと引受参加人との間に生じた分は被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人(以下、控訴代理人という)は、「原判決を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人ら代理人(以下、被控訴代理人という)は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、なお、請求を減縮して、被控訴人らと控訴人との間において被控訴人らが原判決添付実測図表示の(1)(2)(5)(3)(6)(7)(8)(1)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分(以下当審係争部分という。なお右のうち(1)(2)(イ)(9)(1)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分は千葉市幕張町六丁目九五番四の一部、以下丁地という。)につき、被控訴人らと引受参加人との間において被控訴人らが丁地についてそれぞれ囲繞地通行権を有することの確認を求めるに止め、引受参加人は、「被控訴人らの右請求を棄却する。」旨の判決を求めた。

各当事者の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用及び認否は、次に、附加し、改めるほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、当審において取り下げられた主位的請求及び予備的請求の一部に関する部分を除く)。

一  被控訴人山本は、次のように述べた。

原審検証見取図(1)表示の千葉市幕張町四丁目六三一番七に面してほぼその東側に幅員三尺程度の公道があつたけれども、隣接の同図表示の(同町六丁目)九五番一とともにその所有者である中台斧吉が畑として耕作中で通行不可能であつた。

二  被控訴人加瀬は、次のように述べた。

原審検証見取図(1)表示の千葉市幕張町四丁目六三一番五の南西側にある公道は道という状態ではなく、途中に家屋が建築され、かつ、その周囲の所有者により畑として耕作され、通行できる状態ではなかつた。

三  被控訴代理人は、次のように述べた。

後記四2五2の控訴人、引受参加人の各主張事実中控訴人が引受参加人に対して昭和四五年一二月一日丁地を含む千葉市幕張町六丁目九五番四の土地を贈与し、同月一四日所有権移転登記手続を了したことは認める。

四  控訴代理人は、次のように述べた。

1  一の被控訴人山本主張事実中原審検証見取図(1)表示の千葉市幕張町六丁目九五番一およびこれに隣接する公道の一部が畑として耕作されていたことは認める。二の被控訴人加瀬主張事実中主張の公道が道という状態ではなく通行できる状態でなかつたことは否認する。右公道は道として通行できる状態であり、現実に通行していた。

2  控訴人は、昭和二四年頃丁地を含む千葉市幕張町六丁目九五番四の土地をその所有者山内志保子の死亡により相続したが、昭和四五年一二月一日これを引受参加人に贈与し、同月一四日所有権移転登記手続を了した。

五  引受参加人は次のように述べた。

1  引受参加人が控訴人から贈与を受けた土地は千葉市幕張町六丁目九五番四宅地39.66平方メートルであり、右宅地と被控訴人ら主張の各所有地との間には幅員三メートル八〇センチメートルの公道があり、被控訴人山本が同町四丁目六三一番四宅地(同所六三一番六、六三一番七分筆前のもの)を取得した当時、右公道の同町六丁目九五番一の土地寄りの半分は同土地の所有者が違法に耕作していたが残り半分は通路となり県道に通じていたから、前記宅地39.66平方メートルは、囲繞地ではない。

2  控訴人の主張はすべて援用する。

六  証拠<略>

理由

第一当裁判所は、被控訴人らの控訴人に対する請求は一部正当であるが一部失当であり、被控訴人らの引受参加人に対する請求は全部失当であるとするものであつて、その事実認定及びこれに伴う判断は、次に加え、削り、改めるほか、原判決がその理由として説示したところ(原判決七枚目―記録二一丁―表一行目初めから原判決一三枚目―記録二七丁―表四行目「認容し、」まで、但し末尾を「認容する。」改める)と同一であるから、その記載を引用する。

1  原判決七枚目―記録二一丁―表一行目の「被告が」から同表五行目「売渡したこと」までを「甲地、乙地、丙地はもと一筆の土地(千葉市幕張町四丁目旧六三一番一)の一部であつて、いずれも被告所有であつたところ、被告は昭和二四年八月その一部(乙地と現在の同番七を合わせた旧同番四)を分筆して原告山本に売渡し、またその頃丙地を分筆して原告加瀬に売渡し、原告らがそれぞれ乙地丙地の所有者となつたこと、当審係争部分のうち原判決添付実測図表示の(3)(6)(7)(8)(ニ)(5)(3)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分は甲地の一部であり、また同図表示の(イ)(9)(1)(2)(イ)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分は丁地でもと被告の所有であつたところ、昭和四六年一二月一日被告から引受参加人に贈与され、現在引受参加人の所有であること」と改める。

2  原判決七枚目―記録二一丁―表六行目に「訴外山内久子」とあるのを「引受参加人」と、同表九行目に「係争部分」とあるのを「当審係争部分」と、「甲地」とあるのを「前示のように甲地の一部」と「(3)(4)(8)(ニ)(5)(3)」とあるのを「(3)(6)(7)(8)(ニ)(5)(3)」と改め、同一〇行目「囲まれた部分)」の次に「及び丁地」を加え、同一二行目の「と千葉市」から同裏二行目の「部分)」までを削る。

3  原判決七枚目―記録二一丁―裏二行目「含まれていること」の後に「が認められる。」を加え、同行「九五番の四」から原判決八枚目―記録二二丁―表一一行目の「正当である。」までを削る。

4  原判決八枚目―記録二二丁―裏四行目に「証人中台」とあるのを「原審証人中台」と改め、同裏四行目から五行目の「同山本清江」の後に、「同小黒寛平」を加え、同裏五行目に「同山内」とある後に「及び当審証人山内志津子」を加え、同裏六行目に「証人」とあるのを「原審証人」と改め、同裏一二行目に「被告の夫保は」とある後に「昭和一五年ころ」を加え、原判決九枚目―記録二三丁―表六行目に「出ることもあつた。」とある後に「保は昭和一八年死亡して長女志保子が相続したところ、同女も昭和二四年六月死亡したので被告が相続して、甲地を含む千葉市幕張町四丁目旧六三一番一及び丁地を含む同町六丁目九五番四の所有権を取得するに至つた。」を加え、同表一一行目に「中台毅」とあるのを「中台斧吉」と改める。

5  原判決一一枚目―記録二五丁―裏一行目「原告らは」から同裏五行目までを削る。

6  原判決一二枚目―記録二六丁―表二行目に「私設道路」とある後に「(但し原判決添付実測図表示の(イ)(ニ)(8)(9)(イ)の各点を順次結ぶ直線に囲まれた部分を除く。同部分は本来公道であるから自由に通行することができることは当然である。)」を加え、同表四行目の「事柄である。」とある後に「民法二一〇条及び二一三条に囲繞地通行権発生の要件として規定されている公路に通ぜざる土地というときの公路とはたんに公簿上公道となつているというのでは足りず相当程度の幅員をもつて自由安全容易に通行できる通路を意味すると解するのを相当とする。」を加え、表六行目「その公道が」から同裏二行目「相当である。」までを「この場合には民法二一三条二項の規定の適用はなくその公道が開設されても、原告山本は、右公道に到るために必要な限度では従来どおり被告の私設道路の通行権を失わないというべきであるが、丁地の通行権はその必要性消滅により失われたというべきであり、検証の結果その他諸般の事情を考慮すると原告山本が現に囲繞地通行権を有する範囲は、同図表示の(3)(6)(7)(8)(ニ)(5)(3)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分であると認めるのが相当である。」と改める。

7  原判決一二枚目―記録二六丁―裏六行目の「当初から」とある後に「前示の意味における」を加え、同裏一一行目に「私設道路」とある後に「(但し前記原告山本についてと同様原判決添付実測図表示の(イ)(ニ)(8)(8)(9)(イ)の各点を順次結ぶ直線で囲まれた部分を除く)」を加え、同裏一二行目に「そして」とあるのを、「しかしその後の公道の開設により前記原告山本についてと同様丁地についての通行権を失い、」と改める。

8  原判決一三枚目―記録二七丁―表三行目「原告らの」から同表四行目までを「被控訴人らの請求は、控訴人に対して被控訴人らが原判決添付実測図表示の(3)(6)(7)(8)(ニ)(5)(3)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分について囲繞地通行権を有することの確認を求める限度において正当であるが、その余の部分及び引受参加人に対する関係において全部失当である。」と改める。

第二よつて、以上と判断を同じくする限り原判決は相当であるが、以上と判断を異にする限り原判決は失当であつて、変更を免れないから、民訴法三八六条、三八四条によつて、原判決を主文第一項のとおり変更し(被控訴人らは、当審において従来の主位的訴及び予備的請求のうち原判決添付実測図表示の(4)(6)(7)(8)(4)を順次結ぶ直線によつて囲まれた部分につき囲繞地通行権の確認を求める部分の訴を取り下げたから、これについては判断をしない)、引受参加人に対する請求を棄却すべく、訴訟費用の負担につき同法八九条、九二条、九三条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(吉岡進 園部秀信 森綱郎)

〔参考・原審判決(千葉地裁昭和四三年(ワ)第一五九号、通行地役権確認請求事件、同四六年三月一六日判決)〕

主文

原告らの主位的請求を棄却する。

原告らが別紙実測図表示の(1)(2)(5)(3)(6)(7)(8)(1)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分について囲繞地通行権を有することを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

(主位的請求の趣旨)

「原告らが千葉市幕張町四丁目六三一番の一宅地747.1平方メートル(以下甲地という)のうち別紙実測図(以下実測図という)表示の(1)(2)(3)(4)(1)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分114.38平方メートル(以下係争部分という)について通行地役権を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

(予備的請求の趣旨)

「原告らが甲地のうち係争部分について囲繞地通行権を有することを確認する」との判決を求める。

(主位的と予備的の各請求の趣旨に対する答弁)

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求める。

(請求の原因)

1 原告山本之登は千葉市幕張町四丁目六三一番の四宅地131.36平方メートルと同番の六宅地51.23平方メートル(以下これを合わせて乙地という)を所有し、原告加瀬茂啓は同番の五宅地238.01平方メートル(以下丙地という)を所有して、それぞれその地上に建物を所有している。

2 原告山本は昭和二四年八月二九日被告から乙地と同番の七宅地164.39平方メートルを旧同番の四として買受けたか、旧同番の四はそのとき被告所有の旧同番の一から分筆されたものであり、分筆によつて公道に接しない袋地となつた。被告が同番の七の東側に存在したと主張する公道は公図上に記載されていたとはいうものの道路としての実態を全く失つていた。そこで、原告山本は旧同番の四から東方の公道に出るのに、すでに被告が私道として使用していた係争部分を通行することとなり、これについて被告の承諾を得た。原告山本はそののち旧同番の四から同番の七を分筆し、昭和三五年一二月二一日これを訴外土橋裕に売渡し、同人は昭和三六年一二月二七日これを訴外宮下清吉に売渡したが、同人はその地上に建物を建て、東方の公道に出るのに被告の承諾を得て係争部分を通行した。原告山本は昭和四一年乙地のうち同番の四の地上に建物を建てたが、それについて係争部分付近が幅員四メートルの道路に該当するものとして建築の許可を得たところ、被告はこれを了承していたし、被告はこれまで約二〇年間原告山本が係争部分を通行するのに異議を述べなかつた。以上のとおり原告山本と被告の間には乙地を要役地とし、係争部分を承役地とする明示または黙示の通行地役権設定契約が結ばれていた。

3 仮に2の主張事実が認められないとしても、原告山本は係争部分について囲繞地通行権を有している。すなわち、原告山本が被告から買受けた旧同番の四は旧同番の一から分筆されて公道に接しない袋地となつた。係争部分は当時からすでに道路としての実態をそなえていたので、係争部分を通行するのが甲地について最も損害の少ない通行方法であつた。

4 原告加瀬は昭和二四年八月ころ被告から丙地を買受けたが、丙地はそのとき被告所有の旧同番の一から分筆されたものであり、分筆によつて公道に接しない袋地となつた。被告が丙地の南西隅に接続して存在したと主張する公道は公図上に記載されていたとはいうものの道路としての実態を失つていたし、被告が主張するように訴外興亜不燃板工業株式会社(以下訴外会社という)が原告加瀬に公道に通ずる通路を提供したり、原告加瀬がこれを通行した事実はない。被告は原告加瀬が係争部分を通行することを当初から承諾した。また、原告加瀬はこれまで約二〇年間係争部分を通行してきたが、被告はこれに対して異議を述べなかつた。以上のとおり原告加瀬と被告の間には丙地を要役地とし、係争部分を承役地とする明示または黙示の通行地役権設定契約が結ばれていた。

5 仮に4の主張事実が認められないとしても、原告加瀬は係争部分について囲繞地通行権を有している。すなわち、原告加瀬が被告から買受けた丙地は分筆によつて袋地となつた。丙地から公道に出るのには係争部分を通行するほかなく、係争部分を通行するのが甲地について最も損害の少ない通行方法であつた。

6 ところが、被告は実測図表示のとおり係争部分にかかるようにして二階建共同住宅を建築し、乙地と係争部分の境界にトタン塀を設置して原告らが係争部分を通行するのを妨げている。

7 よつて、原告らは被告に対し係争部分について主位的には通行地役権を有することの確認を求め、予備的に囲繞地通行権を有することの確認を求める。

(請求の原因に対する答弁)

1 1のうち原告山本が乙地を所有し、原告加瀬が丙地を所有している事実は認めるが、その余の事実は知らない。2のうち被告か昭和二四年八月三一日旧六三一番の一から旧同番の四を分筆してこれを原告山本に売渡した事実は認めるが、その余の事実は否認する。3の事実は否認する。4のうち被告が昭和二五年九月二日ころ旧同番の一から丙地を分筆してこれを原告加瀬に売渡した事実は認めるが、その余の事実は否認する。5の事実は否認する。6の主張は争う。

2 原告ら主張の係争部分には甲地(六三一番の一)のほか公道の一部と千葉市幕張町六丁目九五番の四の土地が含まれている。甲地以外の部分は原告らの請求の趣旨原因の範囲外である。

3 旧六三一番の四の東側には当初から公道が隣接し、同地は公道に面していた。訴外小高保はかねてからこの公道を通行しており、その公道は遅くとも昭和三七年八月ころまでに現況のように幅員が拡張された。また、被告は原告山本が係争部分を通行することについて当初から異議を述べており、近隣であつたので紛争を大げさにしなかつたのにすぎない。

4 丙地は分筆当時その南西隅が公道に接していた。その公道はまもなく訴外会社がこれを占有使用し、その地上に工場を建築したが、同会社はその代替通路としてその敷地内に原告加瀬のため他の公道に通ずる通路を開設した。ところが、原告加瀬方の賃借人はこの通路を通行せず、係争部分を通行していたので、訴外会社はやがてその通路を塞いでしまつた。原告加瀬はその通行権の確保を訴外会社に対して主張すべきである。訴外会社が占有使用した公道について廃道処分がなされなかつたのは公道に接続する丙地の所有者原告加瀬の同意が得られなかつたからである。また、原告加瀬はその所有家屋にこれまで一度も居住したことがないのであつて、被告が原告加瀬に対し係争部分の通行を承諾したことはない。被告はその家屋賃借人に好意で係争部分を通行させているにすぎない。

5 係争部分には幅員約二メートルの道路があつて、被告がここを通行していたか、原告山本や原告加瀬の賃借人は被告の通行に迷惑とならない限度でここを事実上通行していたのにすぎず、その法律関係は被告の係争部分の土地利用権を制限する性質のものではない。仮に原告らの通行権が認容されるとしても、その範囲は幅員二メートルを超えないものである。

(証拠)<略>

理由

一、被告が甲地を所有し、原告山本が乙地を所有し、原告加瀬が丙地を所有していること、被告が千葉市幕張町四丁目六三一番の一(旧六三一番の一)から乙地を分筆してこれを原告山本に売渡し、そののち旧同番の一から丙地を分筆してこれを原告加瀬に売渡したことは当事者間に争いがない。市長作成部分の成立には争いがなく、訴外山内久子作成部分は証人山内久子の証言によつて成立を認める乙第一号証の一、二、証人中台毅、同山内の各証言と弁論の全趣旨を総合すると原告主張の係争部分のうちには甲地(実測図の(3)(4)(8)(ニ)(5)(3)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分)のほか公道の一部(実測図の(イ)(ニ)(5)(9)(イ)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分)と千葉市幕張町六丁目九五番の四の畑(現況道路、実測図の(1)(2)(イ)(9)(1)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分)が含まれていること、九五番の四はもと訴外中台斧吉所有の畑の一部であつたが、原告の夫山内保が昭和一五年ころ畑に囲まれた旧六三一番を買求めてその地上に居宅を建築しようとしたときその土地から東方の県道に通ずるための通路として使用する目的で取得した土地であること、保は昭和一七年旧同番の一の北西部約330.57平方メートルの部分に居宅を建築し、家族とともに入居したが、昭和一八年死亡し、長女志保子が同人を相続したこと、志保子が昭和二四年六月死亡すると、被告らは旧同番の一を処分しようと考え、旧同番の一の所有名義人を被告としたが、九五番の四についてはその必要もなかつたので、そのまま放置したこと、以上の事実を認めることができる。したがつて、原告らが係争部分の全部が甲地の一部であると主張するのは誤りである。しかし、訴訟の目的となつている係争部分は現地に即して具体的に特定しているのであつて、原告らの主張が的確でないとの理由で係争部分に含まれている甲地以外の部分が訴訟の対象から除外されることになるわけではない。そして、右の事実と弁論の全趣旨によると被告は係争部分に含まれている公道の一部と九五番の四を事実上支配し、原告らがその部分を通行するのを排除しようとしていることを認めることができるので、原告らが係争部分全部を目的として訴訟を追行するのは正当である。

二、<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、旧六三一番は公図によるとその南西隅と東側全部において公道と接していたが、南西隅に接する公道は農道で、日常通常人が歩行するのに適しておらず、東側に接する公道は訴外中台斧吉がこれを畑として耕作していて道路の形態をなしていなかつた。被告の夫保は当時畑であつた旧六三一番を買受け、県道からその土地に出入りするために九五番の四を取得して九五番の四とその西側の公道部分に道路を開設し、係争部分の甲地の北側半分に幅員約二メートルの道路を開設して旧六三一番の一の北西部に居宅を建てた。敷地約330.57平方メートル以外は畑のままであつたが、被告方では南西隅の農道を通つて南方の県道に出ることもあつた。被告は昭和二四年訴外小高保に同番の三と同番の八を売渡した。被告は同年八月二九日旧同番の一から旧同番の四を分筆してこれを原告山本に売渡した。旧同番の四は西側と南側が甲地に、北側が訴外小高の宅地に、東側が公園上の公道にそれぞれ囲まれたが、東側の公図上の公道は訴外中台毅の耕作する畑となつていたので、東方の県道へ出るのには南側の係争部分の被告の私設道路を通るほかなかつた。原告山本はそのころ売買の仲介人を通して原告山本の家族が被告の私設道路を通行するのを被告が許容している旨伝え聞いた。原告山本は同年末から翌年にかけて同番の四に居宅を建て、実測図表示の出入口から被告の私設道路に出て東方へ進み、公道部分と九五番の四を通つて県道に出た。被告は昭和二五年ころ旧六三一番の一から丙地を分筆してこれを原告加瀬に売渡した。丙地は北側と東側が甲地に、南側が訴外会社の工場敷地に、西側が第三者の畑に囲まれた。丙地の南西隅に接して農道があつたが、原告加瀬と被告は当時その農道が公図上明記されている公道であることを知らなかつたし、その農道は訴外会社が工場敷地として勝手に使用していたので、道路の形態を失つていた。訴外会社はその農道に替わるものとして工場敷地内に南方の県道から丙地に通ずる通路を開設したが、その通路は農道用のものであり、かつ、工場敷地内を通るので日常一般人が通行するのに適さず、原告加瀬は丙地に盛土をしたときこれを使用したにすぎなかつた。丙地から公路へ出るのには、丙地から甲地に出て被告方の使用する私設道路を通り、係争部分に出て被告の私設道路の甲地部分、公道部分、九五番の四を通り、東方の県道に出るほかなかつた。原告加瀬は昭和二五年一一月丙地に居宅を建てたが、自分は居住せず、これを第三者に賃貸した。その賃借人は右の私設道路を通つて東方の県道に出た。訴外小高はそののち六三一番の三に居宅を建てたが、東方の県道に出るのに旧同番の四の東端部分を通つて係争部分に出、その公道部分と九五番の四を通つていた。原告山本は昭和三五年一一月二一日旧六三一番の四から旧同番の六(同番の六と七を合わせたもの)を分筆してこれを訴外土橋裕に売渡したうえ、昭和三六年年一二月二六日旧同番の六から同番の七を分筆した残りの同番の六を同人より買受けた。同人は同月二三日同番の七を訴外宮下清吉に売渡した。訴外小高は昭和三六年ころ公図を調べて同番の七の東側に接して公道が存在するように表示されているのを知り、千葉市に対し公図どおりの公道を開設するよう働きかけた。その結果昭和三七年春ころ訴外中台の耕作していた畑の一部が市に回収されて公図どおりの公道が開設された。被告は昭和三六年ころ公図を調べて丙地の南西隅に接して公道が存在するように表示されているのを知つた。同番の七の東側に公道が開設されると被告は原告山本に係争部分の私設道路を通らないよう要求し、実測図の(イ)(ニ)間に生垣を設けてその公道部分と九五番の四に立入られないようにしようとした。原告山本はこれに応ぜず、被告の私設道路を通行し続けたが、昭和四二年同番の六に貸家用の居宅を建てたので、被告の反感を強めた。当時係争部分のうち甲地部分の私設道路は幅員が約二メートルで、その余の部分は家庭菜園に使われていたか、被告は同年秋原告らに対し係争部分の私設道路を通行しないよう強く抗議し、同年暮から昭和四三年にかけて実測図表示のとおり係争部分にかかる位置に二階建共同住宅を建築し、これを第三者に賃貸した。

三、原告らは係争部分について被告との間に明示または黙示の通行地役権設定契約を結んだと主張するが、前記二で認定した事実によつてはまだその主張事実を推認するのに十分でなく、他にその主張事実を認めるにたりる証拠はない。したがつて、原告らの主位的請求はいずれも理由がない。

四、前記二で認定した事実によると六三一番の七の東側に接して公道が開放されたのは昭和三七年春であるから、旧同番の一から分筆された旧同番の四は当初から公路に通じない土地として原告山本に譲渡されたといえる。係争部分には幅員約二メートルの被告の開設した道路があり、被告がこれを東方の県道に出る通路として使用していたのであるから、その私設道路は原告山本のために必要にしてかつ旧同番の一のために損害が最も少ないものであつたといえる。したがつて、原告山本は当初からその私設道路について囲繞地通行権を取得したということができ、被告がその通行を許容したのは当然の事柄である。同番の七の東側に公道が開設された当時すでに乙地はその公道に接しない状況に分筆されていたのであるから、その公道が開設されても原告山本は被告の私設道路の通行権を失わなかつたといえる。また、実測図の(イ)(ニ)間の部分から北方に出る公道が開設されてもその公道と九五番の四の位置関係、利用状況などからみて原告山本はなお九五番の四の通行権を失わないといえる。係争部分には被告の二階建共同住宅が建築されているし、検証の結果その他諸般の事情を考慮すると原告山本が現に通行権を有する範囲は実測図表示の(1)(2)(5)(3)(6)(7)(8)(1)の各点を順次直線で結んだ線で囲まれた部分と確定するのが相当である。

五、また、前記二で認定した事実によると丙地の南西隅に接していた農道は日常の利用に適合した通路でなかつたとみることができ、丙地は旧六三一番の一の南西部に分筆された原告加額に譲渡されたのであつて、当初から公路に通じない土地であつたといえる。甲地には係争部分の私設道路のほかさらに係争部分から被告方へ通ずる私設道路があつたのであるから、その私設道路は原告加瀬のために必要にしてかつ甲地のために損害が最も少ないものであつたといえる。したがつて、原告加瀬は当初から係争部分の私設道路について囲繞地通行権を取得したということができる。そして、原告加瀬が現に通行権を有する範囲は前記四で確定した原告山本のものと同じ部分と確定するのが相当である。

六、以上のとおりであるから、原告らの主位的請求を棄却して予備的請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。(加藤一隆)

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